キックオフミーティング直前に祖母がなくなった。姉からの連絡で知ったのだけど、両親からの連絡は全くなかった。おそらく 私の大きなミーティングへの差し支えになってはいけないと気を使ったんだなとはわかっていたけど。ミーティングに出かける前の日に母から祖母のことには全く触れずに”頑張ってね”とのメッセージだけが留守電に残っていて、悲しみでいっぱいの母でも 私の予定をきちんと覚えていてくれたことがわかり、母親ってすごいなあって思った。

ファイバーアーティストの母は 近所に住んでいる祖父母の家に毎日通いながら作品つくりを続けていた。いつも 周りの人のこともきちんとしながら、作品つくりをするのは大変なことだけど、作品つくりを通じて周りの人も元気や勇気も与えることができると思うって話していた。だから 私も子供のこと、夫のこと、そして周りの人も大切にしていくようにとのメッセージ。
母の作品は 優しさと強さのある作品で、母の内面そのものが表現されていて 私の中ではいつも一番のアーティスト。

この作品たちは私の好きな母の作品の一部です。

(フェルトを主にしたミックスメディア)



(紙のもととなる繊維素材を使った作品)



私たち3姉妹が小さかった頃、いつも母に連れられて高原にいっては、母はそこでスケッチをしていた。私たちが小学生の頃から 週に一度東京に美術の勉強にいくようになって その日はいつも姉や妹と協力して夕食を作って母の帰ってくるのを待っていた。私たちの作ったあまり美味しくなかっただろう夕食を父は必ず”美味しい”って言いながら食べてくれたことも良く覚えている。
私の覚えているだけで 母は油絵から始まって、墨絵、デッサン、ろうけつ染め、草木染め、フェルト作品、シルバー製作、ファイバーを使ったもの、、、と母の興味が少しずつ移動して 違うクラスをとって、、と一つ一つを2-3年かけて吸収していったような。母の内面がいっきに作品に現れたのはフェルト作品を作るようになってから。フェルト作品にそれまでの母の知識と技術を混ぜ合わせて、母にしか作れないだろう作品になってきた。何度か開いた母の個展のうち 一度だけ私も一緒に自分の作品をおかせてもらったことがある。その時の母の作品はウールを使ったものが多く、手染めの毛糸もたくさんおいてあった。もう15年も前のこと。
母の日展や美術館に飾られることがあるけれど、私はアメリカに住んでいるので一度も足を運べないことが残念。たくさんの人に見てもらいたいと とても願っています。